絵の話

え!絵上手だね!

まだ絵は完成していなかった。

2歳児にしてお世辞だと思って聞き流そうとした、幼馴染のママに言われたこの言葉が始まりだった。

だって、もう全身描いてるでしょ?

不思議に思って隣を見ると、幼馴染は丸で目と口と輪郭を描いて嬉しそうにやり切った顔をしていた。

私の母は自身が末っ子で、私が第一子だからか、周りと比べずに育てたのであまり私を褒めなかった。

それどころか子ども相手にあれも違うこれも違うと常に正しい方に導き、走ったら転ぶよと慎重に慎重に育てた。

 

それに、私の中で母はいつも完璧だった。

家政科の高校を出ているので料理や裁縫など器用にこなし、失敗しているのを見たことがなかった。

絵も上手で描きたいものがあると、母に聞けばお手本を描いてもらえた。

字が読めない私のためにVHSにはアニメのタイトルの下にキャラクターの絵を描いてくれた。私が寝ている間に描くので、初めて見たとき本当は公式のシールなんじゃないかと思った。

カードキャプターさくらにハマると、朝枕元にケロちゃんのぬいぐるみがあった。ステッキも作ってくれた。

読み書きの練習中に、机の向かい側から私の手元に向かって上手に「よ」を書いたとき、手品だと思った。

 

器用なのは母だけではなかった。

父とオムライスを食べると、上手にアンパンマンを描いてくれた。鼻と頬にはしっかり丸と四角のツヤが描かれていたが、私にはこれが何だかわからなかった。

アリがどんな虫かわからず、母が不在だったのでダメ元で父に聞くと、自信なさげながらも完璧なアリを描いてくれた。

祖母も絵が得意だった。

そして母以上に厳しい人だった。

誰もが描くようにアイコニックに3秒で描いたチューリップを披露すると、チューリップの花びらはこのように別れていて、葉はスマートなのよと指摘された。

こうして写実派の英才教育を受けた私の3歳の頃に祖母に贈った似顔絵は、眼鏡の鼻当てまで細かく描かれているし、年長になる頃には下睫毛までしっかり描かれた幼女らしからぬタッチとなる。

 

幼稚園や小学校の自由時間は友だちと絵を描いて過ごした。

この頃にはもう母の絵を見ることは無くなって、ただひたすら女の子の絵を描いていた。

ある日小学一年生らしく中庭で朝顔の花を観察して絵を描く時間があった。

小学校での画材は手が汚れないのでクーピーペンシルが指定されていた。

基本的に12色セットなので、朝顔の綺麗なグラデーションを表すには無機質なピンクと紫では満足できず、同系色をぐりぐりと重ねた。

さすがにまだ絵の具も使えない小学一年生に求めていたクオリティではなかったらしく、先生に見つかってクラスのみんなの前で斬新さを褒められた。

 

夏休みに10歳上の従姉妹と会った。

従姉妹もまた絵が上手かった。

リンゴを書いてごらんと言われて、また3秒で描けるよくあるリンゴを描いた。

従姉妹のリンゴはアルファベットの小文字のiのような模様で白抜きになっていた。

「これなに?」と聞くと、「ツヤだよ。」と答えた。

従姉妹のリンゴはぷっくりしていて可愛いということだけは理解できた。

父がアンパンマンの鼻と頬に描いた丸と四角がこれだということには少し後に気づいた。

小学校1年生にして目以外にも光と影の装飾を施すことを知った。

それから2年後、従姉妹が絵の専門学校へ進学した。

従姉妹は夏休み中、課題で毎日絵を描いていた。絵を描くだけの課題なんて羨ましいと思いながら私も隣で絵を描いていた。

今思えば従姉妹は毎日少し苦戦した表情で描いていた。あまり思い浮かばない様子で、絵を見せてくれなかった。

ある日、私の自由帳に絵を描いてとせがんだ。

上手じゃないよ、と渋りながらも課題ではないからなのか、いつもよりさらさらとあっという間に絵をふたつ描いてくれた。

自分の絵の稚拙さに気がつくには十分な年齢だった。

私はこの絵を自由帳から切り離して今でも大切に持っている。

 

この頃から人に絵を見せるのがこわくなった。

 

翌年頃に、同級生が朝の会で漫画を趣味で描いているのでぜひみんな読んでくださいと発表した。

その光景を見ているのがなんだか恥ずかしくて、私は読みたがるフリをして読まなかった。

 

それから、描きたいものが思い浮かばなくなって、こっそり描いていた漫画もペンが止まってしまった。

絵を描くことは今でも好きだけれど、描こうとペンを握った瞬間描きたいものが浮かばない。

合う合わない談義

アルバイト時代、面接前の店長から言われたことがあります。

 

「合わないなって人いる?」

 

店長はなかなか堅物なので、入ってくる人に傾向があることはバイトの間でかなり有名でした。

まず、店長自身が学生時代に打ち込んだので、バドミントン経験者は採用されやすい。

そして他の続いている社員とバイトの成功体験からバレー、吹奏楽経験者も必ず採用されます。

あとは部活を続けたことがあれば好感触で、近所の旧帝大生もよく採用されます。

 

こんなに傾向があるにもかかわらず、店長は人を見る目がなく、「一見真面目そうなのにやっと使えるようになってきたタイミングで急に辞める人」が7割でした。

残り3割の、「最初は不器用でも折角覚えた仕事をなかなか辞められずに結局卒業まで続ける人」でなんとか回している店でした。

 

スペックでしか人を判断できないのか、入ってからは一度思い込んだ第一印象が決して覆らないので、人の成長に目を向けられていないのが一目瞭然でした。

 

そんな店長から訊かれた「合わないなって人いる?」には返す言葉が見当たらず、「え、、、いません」と答えました。

 

私にも仲良くなれなかった人はもちろんいます。

直感が働く質なようで、第一印象で「おっと、、、」となる人は居るのですが、好奇心からなのか、まず誰とでも仲良くなってみたいと思うので折角働いた直感を無視することになります。そして近寄っては、心にもないことを言われるなどして疲れて、やっぱりだめだったなと思います。

 

食べ物に関しても、大人になってなおはじめて食べるものに対しては特に、これを許すか許さないかが今後の好き嫌いにかなり関わると思っています。私はパクチーを未だに判断できずに頑張って食べていますが毎日全ての料理に入っていたら嫌です。

食べ方次第でいけるなんてこともありますよね。

果物をおかずとして食べるのはさすがに、、、

火を通せば好きだけど生は、、、

とか。

 

友だちでも恋人でも同じで、毎日他愛のない会話をしていたい人とここぞというタイミングで背中を押してくれそうな人、安心してジョークを言える人、全部別の役割としての心地良さがあるので、決めつける必要なんてないと思います。

 

こういう話をする相手ではないなとこちらが思っている人は、相手も同じに感じているはずだし、こちらを気にしていないようならこちらも気にしなければいいだけです。

 

そう思っていました。

 

高校生の頃、2年生のクラス替えで知り合ったAさんがいました。

Aさんは前のクラスで恋愛関係で折り合いが悪くなったのにまた同じクラスになってしまったらしいBさんの属するグループを避けて、私のいるグループにやってきました。

私は朝も昼休みも放課後も忙しい部活に所属していて、部活の仲間と席が近かったのでそのまま仲良くしていました。気づけばAさん以外が同じ部活の仲間で、話を振ってもAさんとだけ共通の話題が見つけられないので居心地がよくないだろうなと思っていましたが、Aさんは聞いているだけで楽しいのと言ってわざわざ席の遠い私たちのところへ毎日やってきました。

修学旅行の班決めの時期まで一緒にいたので、自然と私といちばん気の合うCさんと3人で同じ班になりました。

人数の都合上、6人班が最も役割分担しやすそうだったので、別の3人班と合流し、Aさんも少し過ごしやすくなっていました。

 

ある日の放課後に、偶然お互い暇なときがあったので2人で遊ぶと、私には無い考えをたくさん持っていることや本当に楽しんでいることがわかり、それからようやく打ち解けられた気がしました。

 

修学旅行が終わり、しばらくするとなんとなくAさんが素っ気なくなってきました。

そろそろまたクラス替えもあるので、向こうが仲良くしたくないならそれまでだな、と思いながらも、Aさんはなぜか私とLINEを続けていました。

2年生のクラスが終わる日、涙脆いAさんは顔を真っ赤にして泣いて寂しがっていました。

 

3年生のクラスが発表されると、私とAさんは同じクラスだったので、同じだねと話し、事前に発表された座席表を見ました。

Aさんの席の周りには、私と同じ部活の仲間が多くいたので、なんとなく「みんないい子だから安心してね」と言うと、

 

「私その部活の子たち苦手なんだよね」

 

と返ってきました。

 

わざわざ私に言う必要があるのか、それとも私は例外なのか、混乱しました。

私やCさんの他にも、Aさんが仲良さそうにしていた子の中には部員が多かったので、「私もあの子もこの子もその部活だよ〜笑」と冗談めかして返すほか思いつきませんでした。

 

「あなたもCさんも好きじゃないし、」

 

びっくりしました。

そう思っていそうだなとは予想出来ていても、わざわざ伝えてくる人がいるとは夢にも思いませんでした。

とんでもない爆弾を投げられてしまったのではないか、これを言ったことが3年生のクラスで出回ることは考えないのだろうか、

ひとりで考えても埒が明かないけれど、AさんやCさんと仲良くなる可能性のある人には相談できないと思い、口が固く今後文理も部活も関わりがなさそうな友人に相談しましたが、Aさんの性格を知らない上に私の味方でいてくれるので、新しい意見は見つかりませんでした。

 

意を決して同じ時をすごしたCさんに相談してみると、

「私もその話したよ。

修学旅行全然楽しくなかったって言うから私も楽しくなかったって返した。

よくわからない子にそんなに悩まされちゃいけないよ。」

と予想の何倍も強い言葉が返ってきました。

 

私とAさんで闘うしかないのだと察しつつも、あとの一年をどう過ごすべきなのかわからなかったので、こちらもストレートに卒業まで待たずに今すぐ縁を切りたいから3年生では話しかけるなということなのか訊いてみると、

「そんなことはない。言葉の綾だった。気にしないで。」

と言われました。

全く腑には落ちませんでしたが、無理にシャッターを下ろさないと縁が切れないと思う人もいるのだなと思いながら、新学期が始まりました。

 

しばらくすると、不思議なことに2年生の頃一度も近くの席になった事がないのにも関わらず、2度ほど連続で角の席でAさんと隣になってしまいました。

もやもやしながら小テストの採点などの業務的な会話を繰り返しました。

 

冬頃になるとまた近くの席になりましたが、お互い勉強に集中していたので可もなく不可もなく勉強に関わることだけを話して過ごしていました。

私の誕生日、Aさんは雑貨屋さんで買うようなお菓子の詰め合わせをくれました。

また訳が分からなくなりそうだったので、考えるのをやめて受け取り、Aさんの誕生日にはバレンタインのお裾分けとしてクッキーを渡しました。

 

しばらくして、Instagramで見かけなくなりました。

アカウントを変えていましたが、特に何もしませんでした。

 

Aさんは今頃どうしているんでしょうか。

私はあれから、なんとなくで「いい人だよ」と紹介するのが怖くなりました。

 

我が家のペット事情 その2

前回の続きです。

変な切り方に思えるかもしれませんが、ここからはいぬを飼いたいを叶えた母の新たな野望について、最新の情報なので、という切り替えです。

 

今年、ポッキーが我が家に来て5年経ち、私は社会人、弟は大学生になりました。

私はすっかりおとなになったのにまだまだ末っ子のポッキーが居る家で半分ほど在宅ワークをして、仕事が終わった瞬間一緒に寝て暮らしています。

長女で臆病かつ甘え下手な私は、ポッキーのおかげでどうぶつ不信もいくらか良くなり、人に頼ることもだいぶ克服しました。

が、相変わらずいぬなら誰でもいいというわけではなく、あくまで家族なのでポッキーが最愛で、いぬ好きとは言えないのが事実です。

 

少し逸れますが、私は子どもに対しても同じ考えで、知り合いの子どもはかわいいけれど、知らない子どもは観察して性格が合えば好き、合わなければ苦手です。

異性なら誰でもいいというわけにいかないのと同じだと思っていますし、逆に同性でもまだ経験がないだけで十分好きになる可能性があると思っています。

好きな色を訊かれたときも、全部の色の中に好みがあるのでひと口に赤、青、黄、などとは答えられないな、と思いながら「うーん、着るなら、落ち着いた色かな」となんとも言えない返しをしてしまいます。

とにかく、ポッキーのこともイチゴのことも、父も母も弟も、恋人や友人についても場合に合わせて個人として対等に向き合っていたいという質なのです。

 

そんな中、いつものように両親が買い物から帰ってイタグレサーチの結果を報告してきました。

娘だからよくわかりますが、いつもよりも明らかにノリ気でした。

イタグレ友だちの中では多頭飼いが多く、母も憧れていましたが、ポッキーの年齢から2匹目をお迎えするには今しかないというタイミングで、ポッキーと色も性別も違う子いぬを見つけてしまったそうでした。

写真を見るととてもかわいくて、ほとんど射抜かれていましたが、私はポッキーがいちばんなので、また反対しました。姉として、下にきょうだいができる寂しさを知っているので、ポッキーが可哀想で仕方ありませんでしたが、ポッキーはほかのイタグレとも温厚に過ごせる質であることはオフ会やドッグランでわかっていること、母のイタグレ友だちがペットロスで立ち直れずに人生が壊れつつあるのを知っていることから、本気なら私とポッキーに面接させてと条件をつけました。

 

結局翌日には父が赴任先へ戻ってしまうので、判断のために私とポッキーも加わってもう一度お店に行きました。

ポッキーが我が家に来た時よりも小さいフォーンの女の子でした。ポッキー同様にあまり人には興味がなさそうで、ほかの子がご飯の匂いに吠える中、声を出さずに必死にアピールだけしていましたが、今し方席替えで隣になった子に「挨拶しなさいよ!」と言わんばかりにしっぽを振るいかにも女児という性格が見て取れました。

ポッキーはというと、吠えあっているなら反対出来ますが、嫉妬してか、目も合わせませんでした。

とりあえず私と仲良くなれそうなタイプか、抱っこさせてもらいましたが、かなりおてんば娘で落ちないとなぜ確信できるのか、ほとんどじっとせず上へ上へ後ろへ後ろへ登ろうとする姿は、かつて我が家にいたハムスターのハナのようでした。

 

ポッキーも私も特段ビビっとも来なければ、かといって何度仲良くしようと試みても馬の合わない知り合いのような嫌な感じもしないというどちらとも取れない第一印象のまま、この末っ子に手を焼いていればしばらくは母も仕事のモチベーションとしても母親としても退屈しないでしょうということでそのまま翌日お迎えする運びとなりました。

 

なぜいつも急に家族を増やしたがるのか、末っ子として育った母のことは理解ができませんが、私はいままで以上にポッキーとイチゴを甘やかして、いつでも味方をしようと決意しました。

 

こうして誰もが容易に予想できるプリッツとして我が家のおてんば末娘となった日、私が仕事から帰宅すると、昨日まで末っ子らしくちゃかちゃかしていたポッキーはおとなしくじっと様子を伺っていました。

 

あいつ、いつまでこの家にいるんだろう。

あそこはもともとおれのケージなんだけどな。

めんこめんこって、おれのことだよな?

そのおもちゃ、遊び方わかんないのか?

こら、新入り、挨拶しろよ。

それ、おれのおもちゃなんだけど!!!!

 

ポッキーの考えていることが手に取るようにわかりました。

いつも母がキッチンで野菜を切ろうとするとおこぼれを貰いに行くのにそれどころではないようで、呼ばれても動きませんでした。

私はプリッツを抱くときには前後で何十倍もポッキーに愛情を注ぎ、理解者であることをアピールしました。

弟も彼なりに、末っ子には目もくれず「俺にはポッキーが待ってるから」とマイペースに部屋に行きます。

 

当の本人たちはというと、ポッキーが「だから、挨拶さえしてくれたら仲良くしてあげないこともないってば!」と言わんばかりに何度も果敢に匂いを嗅ぎに行っては、おてんば娘に足蹴にされて「あいつ、おれの方が上なのに!悔しい!もういや!」と私のところに言いつけにきます。

プリッツからしてみれば、見るもの全部が初めてどころか自分の姿も知らないのにポッキーは同じかたちをしている先輩とかいう常識は通用するわけもなく、「とりあえず痒いんだからなんでも噛みたいし赤ちゃんなんだから構ってよね!」以外何でもないですよね。

 

今日も末っ子育ちの母はポッキーが密かに気に入っていたたい焼きのおもちゃを恐らく鳴らしやすいという理由のみでプリッツに渡して、

プリッツがご機嫌にたい焼きをピーピー鳴らし、

ポッキーが機嫌を損ねて私に言いつけに来たので私は味方として甘やかし、たい焼きをポッキーに返しました。

 

きっと母の姉ならとても共感してくれるでしょう。

末っ子ってほんとやーね。

それ私のなのに!vsまたおさがりじゃん!はいつまでも続くんでしょうね。

分ければいいのに。

from長女

我が家のペット事情

家族の話です。

 

我が家のイカれたメンバーを紹介していきます。

まず両親の結婚がスタートですね。

父は真面目すぎる家庭で育ち、家族は両親と少し年の離れた弟のみだったそうです。

母は反対に姉御肌すぎる姉を持ったため、昭和らしく道で出逢った犬のハナコなどを迎えながら、両親、姉、兄、兄に囲まれてにぎやかに育ちました。

そんな夫婦の元に最初に加わったのは、新婚旅行先のオーストラリアで出逢ったカメのなっちゃんでした。

そして程なくしてカメのきすけも加わります。

何年かしてなっちゃんと入れ替わるようにようやく第一子である私が誕生します。

それから、私の物心着いた頃にはウーパールーパーのうーちゃんが玄関に居座っていました。

そのウーパールーパーと入れ替わるように、今度は第二子である私の弟が誕生します。

やがて、父の転勤が増えるのできすけは母の姉の元へ引き取られて行きました。母の姉は私の知る限りでもほかに3匹ほどカメを飼っていました。

それからは母の兄が捕まえたカブトムシや、私が小学校から預かった子持ちのザリガニ、その後引き取った子ザリガニ、小学校から引き取ったスズムシ、母の実家近くの夏祭りで掬った金魚などたくさんのいきものたちが我が家に来ました。

 

母はこの頃からいぬを飼いたいと願っていましたが、堅物の父がいい顔をしないので、度々ホームセンターに入っているペットショップを見て歩いても我が家にどうぶつが来ることはないと誰もが思っていましたし、私もまた、諦めると同時にどうぶつにはあまり関心がありませんでした。

むしろ、家の近くで散歩しているいぬを見ては、自転車で轢いてしましいそうでこわいな、触って懐かれなかったらいやだな、とすら思っていました。

今考えてみれば、ここまで我が家に来たペットたちはみんな水槽や虫かごの中で、ごはんをあげるとき以外のコミュニケーションはほぼなかったからかもしれないと思います。

 

少し戻って子ザリガニを引き取って父がすっかりお世話になれた頃、彼に仲間を増やしてあげようと、初めてペットショップのお世話になりました。

ザリガニは一見オスとメスの区別がつかないもので、子供が出来たらメスかも知れないね、と言いながら、小学校でやっていたのと同じように同じ水槽に入れていました。

私は相変わらず触るほど得意ではなかったので、先輩ザリガニに社長、後輩に部長とあだ名をつけては、たまにじゃれあっているのを眺めているだけでした。

ある朝、水槽を見ると、部長のからだが半分になっていました。

齢10歳にも満たない私にはあまりに残酷すぎる現場を発見し、部長を拾い上げて社長を軽蔑しました。社長は私に恨まれながらも長生きしました。

 

そんなペットへのトラウマを抱えている頃、父の弟が結婚しました。

その叔母もまた世話焼きな質で、こどもやどうぶつが大好きでしたが、こどもを授かるのが難しかったようで、うさぎやいぬを迎えては、私にも見せてくれました。

ちょうど世界に"kawaii"が浸透し、日本でも何に対しても「かわいい♡」を向ける風潮が始まっていた頃ですが、私は相変わらずあまりどうぶつに興味がありませんでしたが、叔母は教え上手でもあり、人懐こくたくさん芸を覚えたいぬのチョコと私を仲良く遊ばせてくれたので、だんだんとチョコにだけは心を許せるようになっていきました。

チョコは父にもよく懐きました。

満更でもなさそうな父を見て、母と私はいつもの食わず嫌いだったことに気がつきました。

それからは自宅のお隣のいぬをはじめ、知っているいぬとは打ち解けられるようになりました。

その頃、母の「いぬを飼いたい」という願望は、今度は「飼うならボストンテリアがいい」という具体的なものになっていましたが、弟がまだ幼かったので老後の夢として語るだけでした。

 

またほどなくして、いつものようにホームセンターのついでにペットショップを見ていると、突然ハムスターをお迎えすることになりました。きっかけはよくわかりません。

これまでの水槽や虫かごのなかでほとんどコミュニケーションをとることもなく旅立ってしまったいきものたちにはホームステイに来ている他人のような感覚がありました。

それが、部屋がケージになった途端に、構ってほしそうに壁にしがみついて鳴いたり、滑車を回したと思えば疲れて寝てしまったりするので、何をしていても気になるような圧倒的な存在感がありました。それから、手に乗せたときのあたたかさや白くてふわふわした毛並み、小さな手足にきゅるんとした目にはどうぶつとしての愛しさを覚えていました。

そんな我が家に突然舞い降りた天使のハナですが、幼い弟の手厚い洗礼を受けたためか、いつしか軍手なしでは危なくて触れないほどのおてんば娘になってしまいました。

 

私が中学生になる頃、母方の祖母が長らくひとりで自営業をしていた店を、例の姉御肌の叔母夫婦が継ぎました。母は祖母が寂しい隠居生活をスタートしたのを見かね、話し相手としてインコと暮らすことを提案しました。難しい小鳥の頃のお世話を我が家で引き受け、人に慣れてきた頃に祖母に引き渡すことになりました。インコもまたザリガニと同様にオスメスの区別が人目では分かりにくいそうですが、祖母が大好きな石原裕次郎に肖ってゆうちゃんと名付けた真っ白な彼(?)はすくすくと育ち、口笛の真似を覚えて無事祖母の元へ飛んでいきました。

母はそれで寂しくなったらしく、しばらくしてペットショップを見たタイミングで偶然生まれたてのヒナを見つけたのでお迎えしました。

その日は父の誕生日だったので私がイチゴと名付け、周りをピンクの小物で固めましたが恐らくイチゴはオスです。

 

私が部活や勉強で忙しく、家ではご飯を食べてお風呂に入って寝るだけになっていた頃、だんだんおとなしくなっていたハナが天寿を全うしました。最期の前に、久しぶりに素手で触って、なんだか申し訳ない気持ちになりました。

それから、私はたびたび独り言を聞いてもらっていたイチゴには絶対に寂しい思いをさせたくないので、母がペットショップを見るのを嫌がるようになりました。

また、思春期で人見知りが悪化していたので、ありきたりにどっち派か問われては、ガツガツ来るいぬよりもねこ派だけれど、イチゴのケージに登って喧嘩したら困るので飼うなら独立してからかな、などと答えていました。

 

そんな私も高校生になり、今度は弟の方が思春期に突入しました。

ケージから出しては家中飛び回り、人の肩にとまっては粗相をして、壁紙や書斎の本などあちこち齧って荒らしたイチゴも、もうすっかり落ち着いてマイペースに暮らしています。

珍しく私の部活が休みの日、久しぶりに両親と買い物に行き、ホームセンターのついでにペットショップに行きました。私はまだペットに抵抗があったので、相変わらずボストンテリア狙いを諦めない母を待つ間、誰にでもきゃんきゃん愛想を振りまくチワワやトイプードルの横でいちばん退屈そうに丸まっている子と目が合いました。じっと見つめあって、ありきたりに「なんだか私みたいだね」と心で会話しました。

戻ってきた母は「ボストンテリアは高かったし、やっぱりあんまり大きくなるとお世話が大変よね」と言ったので安心して帰りの車に乗ると、父と私にスマホで写真を見せてきました。

 

退屈そうにしていたあの子でした。

 

母は自分が見つけたと言わんばかりに「この子がかわいくて、、、細くてあんたみたいだし、、、」と言いました。(ちなみにボストンテリアはとても父に似ています)

確かに否めない見た目でしたし、もはや運命かとも思いましたが、私はイチゴが寂しい思いをするのを嫌がって一度反対しました。

すると母は「お世話するのは私だし、寂しい思いもさせません」とよく見るペット飼いたい談義とは親子逆転した説得をしてきました。

結局のところ、最初に射抜かれてしまっていた私は折れて、翌日のお迎えが決定しました。

 

こうして母の長年の願いはいくつもの段階を経て予定よりも少し早く実現しました。

 

またまた私の命名が採用された細い彼は、ブルーのイタリアングレーハウンド、ポッキーです。

いままででいちばん近い距離で生活するポッキーは、お店ではあんなに退屈そうだったくせに、我が家では忙しい私に朝からちょこまかついて歩いて邪魔をするので、何度も喧嘩しましたが、部活が終わるといつもより急いで帰っては一緒に遊びました。

私が夕飯を食べ終えてリビングに居ようものなら期待の眼差しで私をソファーへと追いやり、べったりとくっついて寝かしつけてくるので私はリビングで寝落ちすることが増えました。

かつていぬを嫌がっていた父も、ありきたりにメロメロになり、職場でイタグレ仲間を見つけて夫婦でオフ会に参加するまでになりました。父のInstagramのアカウントは、他所のイタグレを見るためだけに存在していて、母に情報をリークすることがいちばん平和な夫婦の会話の種になっています。父が単身赴任から帰ってはふたりはペットショップにイタグレがいないかチェックしにいき、見つけて帰る度に私とポッキーに「プリッツ、妹にどう〜?」と写真を見せてきます。

弟もだんだん慣れてきて、静かに一緒に寝る相棒として受け入れ合っています。

 

長くなりましたが、

我が家のレギュラーメンバーの変遷についてお分かりいただけたでしょうか?

こんなに長くお付き合いいただいてから言うのも何ですが、ここまでが序章です。

 

この話には終わりがないので、

なんと次回早速続きがあります。

 

母の野望や、いかに______

我が家でいちばんイカレてるのは間違いなく母。

シャーロキアンに片足突っ込んでいる話

先のiphone事変によって携帯の持ち替えが面倒になる少し前に、仕事の合間に自学を含めて読んでいた本があります。

『名作ミステリで学ぶ英文読解』著:越前敏弥(ハヤカワ新書)

エラリイ・クイーンやコナン・ドイルなどの原文を一部抜粋し、英文の訳を予想しながらもミステリーのどんでん返しも味わえるといういいとこ取りの書籍です。

 

時は遡って、私はコロナ禍で自宅待機していた期間から、約2年間かけてアニメ名探偵コナンを完走していました。

というのも、世代から言ってコナンの初回には立ち会えていないので設定だけ理解して一、二話完結の土曜夕方アニメとしてときどき楽しんでいました。

が、最近主に映画では 「アカイサン」や「アムロサン」とかいう設定もよく分からないキャラクターがメインになることが多すぎる上に、それをみんなすんなり受け入れるばかりか寧ろ推しているのを不思議に思っていました。

前にも書いた通り、私は元ネタを理解して楽しみたい性分なので、アカイサンやアムロサンの初登場を見届けたいと思いました。

おそらくここまではアカイサンやアムロサンを推すひとたちは考えて登場シーンを調べてその回を履修したと思います。

が、私はどんな流れで出てきたのか時系列も知って全容が把握したいので、2年かけて完走するに至ったのでした。

 

一、二話で完結するコナンなので、ストーリーが1ミリも進展しない回がほとんどですから、せっかちな方にはまったくおすすめできません。

その上ほとんどが殺人事件なので毎話誰かが亡くなり、誰かが殺しを企むので何度も挫折しそうになりました。特にコロナ禍は外に出られず病みやすくなっていたので、たまに散歩に出るとすれ違うおじさんが犯人に見えることもありました。(何話も見ているとトリック云々ではなく人相や言動の傾向で青山剛昌先生の描く犯人が当てられるようになってくるのです)

実際、2年間ずっと見ていたわけではなく、気分が乗らずに途中でやめ、たまに戻ってきては一気に進めての2年です。

 

完走してしまった時には喪失感がありました。

私は何でも一気に見たい性格で(この傾向は鬱になりやすいらしいですね)、ワンクールで終わるようなアニメはすぐに見終わってしまうので物足りなく感じ、絶賛放送中の少年向けアニメは毎週の更新や次期が待ちきれずに離脱してしまいます。

そんな私には子供向けの終わりがない1話完結のアニメが、いつ見ても楽しませてくれる安心感で落ち着きます。

 

また、いっそ終わりがあるのなら、あとどのくらいで最終話を迎えてしまうのか寂しがることもたのしみたいので、漫画であってももちろん単行本をなるべく完結してからいっぺんに読みます。

 

そこで、シャーロック・ホームズでした。

 

私はあまり書籍としては購入せずレンタルや電子で済ませ、大切なじっくり読み返したいものだけを手元に買うようにしていますが、活字は目が迷ってしまい、どうしても紙になるので長編ものは避けていました。

が、シャーロック・ホームズシリーズは事件簿式なので1話完結が何話も続き、大昔の話なので当たり前にもう更新されることはないので、いまの私がいちばんじっくり浸ることのできる作品でした。

 

先に書いた『名作ミステリで学ぶ英文読解』で最後に出てきたこともあり、読みたい気持ちが大きくなったことと、ちょうど携帯が外で使い物にならなくなってしまったので仕事終わりに本屋でペンの替えインクを買うついで、まず一冊買ってみようという気になりました。

 

ちょうど一冊が抜粋された本棚でおすすめされていたので、いちばんポピュラーで入門しやすいだろうと、迷わず手に取りました。表紙の折り返し部分にもこの巻がいちばん上に書いてありました。

 

シャーロック・ホームズの冒険』著:コナン・ドイル 訳:延原謙新潮文庫

 

シャーロック・ホームズを読んだことのある人ならもう気づいたかもしれませんが、まあもうしばしお付き合いください。

 

私はほかにも何冊か手に取って、一度に5冊も買いました。

選びながら、誰もがタイトルを知っている名作はこの世に沢山あるのにすべて読んだことがあるひとはなかなかいないのではないかと切なくなりました。そして自分の目で見て理解したい私には探究心へと繋がりました。

私にはこれといった趣味がなく、なりたいものも明確でないので、たまにいま人生が終わってもなんの問題もないと思うことがあるのですが、せめて読んでみたい本をすべて読み終えるまでは生きていようと思えたのでした。

 

話は戻って、私はあまり読書家ではないのですが、たまに書店に行ってはこうしてそのとき気になる本を複数手に取ります。が、毎度わかっているのにやってしまいますが私の中ではとっくに読みたい順序が決まっていて、たいていは1冊を読んでいるうちに忙しい時期が来て読書やそのジャンルへの熱は冷めてしまうので、読みたいと思って買った本が何冊もあります。

今回、もともとどうしても読みたいものはシャーロック・ホームズの冒険なので、早速帰りの電車で読み始めてしまおうと思いましたが、ゆっくり読みたいので踏みとどまって、その日は別のいまの私に響いて手に取った本を読み始めました。

 

翌日、通勤の電車で楽しみにしていたシャーロック・ホームズを読み始めました。

 

すると、書き出しではワトスンが久しぶりにホームズの部屋を訪れようとしていました。

 

久しぶりに???

いくら名作の書き出しだからといって、最初に最新を描いて順に懐古する形式にしては妙に中途半端すぎるタイミングに思えました。

その後読み進めていくと、ほかの事件が参照されている箇所がありました。いよいよ最初に読むべき巻を取り違えたことを確信しながらも、先が気になってページをめくる手は止まらず、その日は一冊のうち半分ほど読み進めてしっかりハマったので、仕事終わりにまた別の書店に寄ってみることにしました。別の出版社でも同じ順で並んでいて、携帯は信用出来ない時期でした。熱が冷める前に揃えてしまうのもモチベーションに繋がるでしょうと、全巻買ってみることにしました。

(モチベーションは、本が読めない食事中にシャーロック・ホームズの映画を2本も見るほどに上がっていました。)

 

順序としてはおかしいですが、もう読み始めてしまっている1冊目に買ったものは読み切ってしまおうと決意していたので、全巻揃ってからやっと時系列順にはどれから読むべきだったのか調べてみました。

結果として、最初に読むべきホームズとワトスンの出会いが描かれているのは『緋色の研究』という短編ではなく一冊かけた作品でした。私の読んでいる『シャーロック・ホームズの冒険』はというと、3冊目でした。すべての順序を知ってから表紙の折り返しを見ると、なかなかにめちゃくちゃなので、寧ろどんな順序なのか知りたくなりました。

 

表紙に書かれた順番ごときに謎を感じてしまうほどの知的好奇心を持った私は既にシャーロキアンに片足を突っ込んでいるのかもしれません。

シャーロキアンに片足突っ込んでいる話

先のiphone事変によって携帯の持ち替えが面倒になる少し前に、仕事の合間に自学を含めて読んでいた本があります。

『名作ミステリで学ぶ英文読解』著:越前敏弥(ハヤカワ新書)

エラリイ・クイーンやコナン・ドイルなどの原文を一部抜粋し、英文の訳を予想しながらもミステリーのどんでん返しも味わえるといういいとこ取りの書籍です。

 

時は遡って、私はコロナ禍で自宅待機していた期間から、約2年間かけてアニメ名探偵コナンを完走していました。

というのも、世代から言ってコナンの初回には立ち会えていないので設定だけ理解して一、二話完結の土曜夕方アニメとしてときどき楽しんでいました。

が、最近主に映画では 「アカイサン」や「アムロサン」とかいう設定もよく分からないキャラクターがメインになることが多すぎる上に、それをみんなすんなり受け入れるばかりか寧ろ推しているのを不思議に思っていました。

前にも書いた通り、私は元ネタを理解して楽しみたい性分なので、アカイサンやアムロサンの初登場を見届けたいと思いました。

おそらくここまではアカイサンやアムロサンを推すひとたちは考えて登場シーンを調べてその回を履修したと思います。

が、私はどんな流れで出てきたのか時系列も知って全容が把握したいので、2年かけて完走するに至ったのでした。

 

一、二話で完結するコナンなので、ストーリーが1ミリも進展しない回がほとんどですから、せっかちな方にはまったくおすすめできません。

その上ほとんどが殺人事件なので毎話誰かが亡くなり、誰かが殺しを企むので何度も挫折しそうになりました。特にコロナ禍は外に出られず病みやすくなっていたので、たまに散歩に出るとすれ違うおじさんが犯人に見えることもありました。(何話も見ているとトリック云々ではなく人相や言動の傾向で青山剛昌先生の描く犯人が当てられるようになってくるのです)

実際、2年間ずっと見ていたわけではなく、気分が乗らずに途中でやめ、たまに戻ってきては一気に進めての2年です。

 

完走してしまった時には喪失感がありました。

私は何でも一気に見たい性格で(この傾向は鬱になりやすいらしいですね)、ワンクールで終わるようなアニメはすぐに見終わってしまうので物足りなく感じ、絶賛放送中の少年向けアニメは毎週の更新や次期が待ちきれずに離脱してしまいます。

そんな私には子供向けの終わりがない1話完結のアニメが、いつ見ても楽しませてくれる安心感で落ち着きます。

 

また、いっそ終わりがあるのなら、あとどのくらいで最終話を迎えてしまうのか寂しがることもたのしみたいので、漫画であってももちろん単行本をなるべく完結してからいっぺんに読みます。

 

そこで、シャーロック・ホームズでした。

 

私はあまり書籍としては購入せずレンタルや電子で済ませ、大切なじっくり読み返したいものだけを手元に買うようにしていますが、活字は目が迷ってしまい、どうしても紙になるので長編ものは避けていました。

が、シャーロック・ホームズシリーズは事件簿式なので1話完結が何話も続き、大昔の話なので当たり前にもう更新されることはないので、いまの私がいちばんじっくり浸ることのできる作品でした。

 

先に書いた『名作ミステリで学ぶ英文読解』で最後に出てきたこともあり、読みたい気持ちが大きくなったことと、ちょうど携帯が外で使い物にならなくなってしまったので仕事終わりに本屋でペンの替えインクを買うついで、まず一冊買ってみようという気になりました。

 

ちょうど一冊が抜粋された本棚でおすすめされていたので、いちばんポピュラーで入門しやすいだろうと、迷わず手に取りました。表紙の折り返し部分にもこの巻がいちばん上に書いてありました。

 

シャーロック・ホームズの冒険』著:コナン・ドイル 訳:延原謙新潮文庫

 

シャーロック・ホームズを読んだことのある人ならもう気づいたかもしれませんが、まあもうしばしお付き合いください。

 

私はほかにも何冊か手に取って、一度に5冊も買いました。

選びながら、誰もがタイトルを知っている名作はこの世に沢山あるのにすべて読んだことがあるひとはなかなかいないのではないかと切なくなりました。そして自分の目で見て理解したい私には探究心へと繋がりました。

私にはこれといった趣味がなく、なりたいものも明確でないので、たまにいま人生が終わってもなんの問題もないと思うことがあるのですが、せめて読んでみたい本をすべて読み終えるまでは生きていようと思えたのでした。

 

話は戻って、私はあまり読書家ではないのですが、たまに書店に行ってはこうしてそのとき気になる本を複数手に取ります。が、毎度わかっているのにやってしまいますが私の中ではとっくに読みたい順序が決まっていて、たいていは1冊を読んでいるうちに忙しい時期が来て読書やそのジャンルへの熱は冷めてしまうので、読みたいと思って買った本が何冊もあります。

今回、もともとどうしても読みたいものはシャーロック・ホームズの冒険なので、早速帰りの電車で読み始めてしまおうと思いましたが、ゆっくり読みたいので踏みとどまって、その日は別のいまの私に響いて手に取った本を読み始めました。

 

翌日、通勤の電車で楽しみにしていたシャーロック・ホームズを読み始めました。

 

すると、書き出しではワトスンが久しぶりにホームズの部屋を訪れようとしていました。

 

久しぶりに???

いくら名作の書き出しだからといって、最初に最新を描いて順に懐古する形式にしては妙に中途半端すぎるタイミングに思えました。

その後読み進めていくと、ほかの事件が参照されている箇所がありました。いよいよ最初に読むべき巻を取り違えたことを確信しながらも、先が気になってページをめくる手は止まらず、その日は一冊のうち半分ほど読み進めてしっかりハマったので、仕事終わりにまた別の書店に寄ってみることにしました。別の出版社でも同じ順で並んでいて、携帯は信用出来ない時期でした。熱が冷める前に揃えてしまうのもモチベーションに繋がるでしょうと、全巻買ってみることにしました。

(モチベーションは、本が読めない食事中にシャーロック・ホームズの映画を2本も見るほどに上がっていました。)

 

順序としてはおかしいですが、もう読み始めてしまっている1冊目に買ったものは読み切ってしまおうと決意していたので、全巻揃ってからやっと時系列順にはどれから読むべきだったのか調べてみました。

結果として、最初に読むべきホームズとワトスンの出会いが描かれているのは『緋色の研究』という短編ではなく一冊かけた作品でした。私の読んでいる『シャーロック・ホームズの冒険』はというと、3冊目でした。すべての順序を知ってから表紙の折り返しを見ると、なかなかにめちゃくちゃなので、寧ろどんな順序なのか知りたくなりました。

 

表紙に書かれた順番ごときに謎を感じてしまうほどの知的好奇心を持った私は既にシャーロキアンに片足を突っ込んでいるのかもしれません。

ios事変

2週間ほど前に、iphoneが使えなくなりました。

 

高校生の頃にiosアップデートをしてバッテリーの減りが急激に速くなったのをきっかけに、アップデートは極力避けていました。

が、最近のアップデートはウィジェットやロック画面のカスタマイズなどの便利な機能が多かったことや、職業上pcをこまめにアップデートするし、ITリテラシーに敏感でいた方がよいこともあって、アップデートへの抵抗が薄れていました。

 

そんな中、プライベートでも社内MTGでも使っていたAirPods Proの調子が悪くなり出して、調べたところiosを最新にアップデートするよう書いてありました。

最近していなかったしな、とアップデートしようとすると、まったくリサーチしていなかったので完全なる偶然で、ちょうどその日は新しくios17が公開された当日でした。なにか運命を感じて最先端に立ってやろうとそのままアップグレードし、使い道の特にない連絡先のポスターやスタンバイ機能のセットアップをしました。

 

その翌々朝、充電をしないまま寝て電源が切れていたので自宅ですこし充電して再起動後にInstagramなどをチェックしてから会社に向かいました。

いつもより早めに駅に着いてiphoneを見ました。

圏外になっていました。

近頃まれに聞く通信障害かな、と思い、とりあえず電車は一本で着くし、会社も駅からすぐなので出勤しました。

 

会社に着いて、同じキャリアsimの同期に聞くと、普通通り使えていて、会社のWi-Fiには繋がったのでLINEで家族に訊いても問題なし、キャリアの公式サイトを見ても、Xで通信障害を検索しても特にヒットしませんでした。

偶然端末とSIMをよく触る仕事をしていたので、何度か再起動をかけたり、APNを見たり、SIMを出し入れしてみました。

いっこうに回復しないまましばらく考えて、iosアップグレードが思い当たりました。Xで検索すると何件かヒット。しかし再起動を何度かして治ったというポストばかりでした。

 

何度再起動しても私のiPhoneは圏外のままでした。

 

これではiphone13が10万するiPod touch同然です。

充電の減りも速くなっていることに気づいて、高校生の頃の経験を忘れていたことに呆れ、「アップグレードの前にバックアップを取っておけばよかった」、「もう少し待ってみるべきだった」などと後悔しました。

が、どうしようもなさそうなので、ひとまず帰宅後に即バックアップを取り、去年の機種変後、偶然下取りに出さずに家で使っていたiphoneXsにSIMを入れてみると使えたので、少し安心して一時の2台持ちを決意しました。

 

翌日、仕事の合間に携帯ショップを検索しました。

サイトでは来店しないで済むようにフローチャートが用意されていましたが、どれも当てはまらなそうなのを感じて長い戦いになる覚悟をしました。とりあえずAppleの修理に繋いでくれる店舗が近くにはなかったので、翌日土曜に予約しましたが、「行くだけ行ってもいいのでは」という同期の助言で、仕事終わりに職場近くのショップへ駆け込みました。

店員さんは迷わずSIMカードの再発行をしてくれました。私は「Xsでは使えているので関係ないのでは?」と思いながら入れ替え、案の定電波は立ちませんでした。

「ここでできることがもうないのであとはAppleさんに行って下さい。何もできなくてごめんなさい。」

何も謝ることはないのに、そう言われ、見送られてしまったので、こちらも何も解決はしていないけれど対応してくれたことに対してだけお礼を言って去りました。

 

そのまた翌日、バグが修正されることを祈ってアップデートを確認すると、速くもios17.0.1がリリースされていました。わずかな期待を胸に、急いでアップデートしましたが変わらず。どうやら修正されたのはセキュリティの脆弱性についてだったようです。

もう期待するのに疲れていました。ショップでも困らせるだけかもしれないと思いながら前日予約したショップで事の顛末を話し、ネットワークの設定をリセットしたり、Appleに電話を繋いで色々確認してもらいましたが、キャリア側にもiphoneの挙動にも問題が見られないほどにあまりにも前例がないらしく、タライ回しを繰り返し、一緒に悩んでくれるまでになりました。

結局ショップで2時間格闘の末、このままだと板挟みが続くのみなので、また翌日に持ち越して自宅からAppleに連絡することになりました。

 

そしてまた翌日Appleカスタマーサポートに連絡しました。

ちなみに毎回20分は待たないと繋がりませんが、それももう昨日から4度目だったので、立っていられる待ち時間ではないこと、端末の操作が必要なこと、もちろん携帯は使えないことなどを踏まえて固定電話の子機からかけました。やっと繋がったので昨日のやりとりを伝え、何度も確認したマニュアルでは解決しないのでスペシャリストに繋ぎますねと言われ、ようやく進展が見えました。

すると、待ち時間が長かったせいなのか理由は分かりませんが、今度は電話をかけていた子機に圏外表示が。もう圏外という字はいやというほど見たのでなにかの縁すら感じつつ、ショックで固まってしまいましたが、立ち直って今度はしぶしぶ親機からかけ直してまた20分待機しました。またさらに説明をしてようやくスペシャリストの方まで辿り着くと、pcに繋いで強制的にアップデートを試みるというさすが今まで試していない方法を提案されました。

結果、アップデートが完了せず、原因としてファームウェアが一部破損していることがわかったので、そのまま配送修理にこと運びました。

 

端末の配送は日付指定こそできませんが思っていたより早く、3日ほどで届きましたが、平日だったので再配達依頼で土曜午前に指定し、金曜夜にまた果たしてバックアップを戻して済む話なのかと疑いながら改めて最新のバックアップを取りました。

そして、どんなものが届くのかも聞かされていなかったのにバタバタと端末の交換をして、恐る恐るバックアップを復元しました。

 

最近のiphoneはワンタッチで機種変更のセットアップが済むのでバックアップを復元したことがなかったこともあり、まったく信用せずにいました。ひとまずデータ移行は完了し、アプリの入れ直しなどの面倒からは逃れることが出来ましたが、私にはここからが本題です。電源を落としてSIMを入れ替えます。

 

ようやく電波が立ちました。

 

2週間の長い戦いがようやく終わり、失ったものはXsと13でバージョンの行き来をしてしまったLINEの履歴だけとなりました。

 

ところで、私は特段説明を受けずに修理とだけ聞いていたので一時的に代替端末を使用して、修理を終えたら戻ってくるのだとおもっていましたが、同梱された書類には「交換機」、「新しいiphone」とあるので、修理に出した端末は戻らないようです。

バッテリーももちろん新しいものになったので結果オーライと思うことにして使っています。

 

今回でバックアップの大切さが身に染みました。

アップデートする前には必ずバックアップをとりましょう、、、

円盤でしか楽曲を聴けないアーティストを推してCDを取り込むことを理由にこまめにPCに繋いでついでにバックアップをとるのがおすすめです。

 

今回たまたまサブ機があったので気長に格闘できましたが、何も無かったらと思うと恐怖で震えが止まらないのはこの情報社会の代償でしょうね、、、

 

私へ

アップデートやバックアップが面倒になったらこの記事を読み返してください。

私より

 

iphone事変、もうこりごり!