絵の話

え!絵上手だね!

まだ絵は完成していなかった。

2歳児にしてお世辞だと思って聞き流そうとした、幼馴染のママに言われたこの言葉が始まりだった。

だって、もう全身描いてるでしょ?

不思議に思って隣を見ると、幼馴染は丸で目と口と輪郭を描いて嬉しそうにやり切った顔をしていた。

私の母は自身が末っ子で、私が第一子だからか、周りと比べずに育てたのであまり私を褒めなかった。

それどころか子ども相手にあれも違うこれも違うと常に正しい方に導き、走ったら転ぶよと慎重に慎重に育てた。

 

それに、私の中で母はいつも完璧だった。

家政科の高校を出ているので料理や裁縫など器用にこなし、失敗しているのを見たことがなかった。

絵も上手で描きたいものがあると、母に聞けばお手本を描いてもらえた。

字が読めない私のためにVHSにはアニメのタイトルの下にキャラクターの絵を描いてくれた。私が寝ている間に描くので、初めて見たとき本当は公式のシールなんじゃないかと思った。

カードキャプターさくらにハマると、朝枕元にケロちゃんのぬいぐるみがあった。ステッキも作ってくれた。

読み書きの練習中に、机の向かい側から私の手元に向かって上手に「よ」を書いたとき、手品だと思った。

 

器用なのは母だけではなかった。

父とオムライスを食べると、上手にアンパンマンを描いてくれた。鼻と頬にはしっかり丸と四角のツヤが描かれていたが、私にはこれが何だかわからなかった。

アリがどんな虫かわからず、母が不在だったのでダメ元で父に聞くと、自信なさげながらも完璧なアリを描いてくれた。

祖母も絵が得意だった。

そして母以上に厳しい人だった。

誰もが描くようにアイコニックに3秒で描いたチューリップを披露すると、チューリップの花びらはこのように別れていて、葉はスマートなのよと指摘された。

こうして写実派の英才教育を受けた私の3歳の頃に祖母に贈った似顔絵は、眼鏡の鼻当てまで細かく描かれているし、年長になる頃には下睫毛までしっかり描かれた幼女らしからぬタッチとなる。

 

幼稚園や小学校の自由時間は友だちと絵を描いて過ごした。

この頃にはもう母の絵を見ることは無くなって、ただひたすら女の子の絵を描いていた。

ある日小学一年生らしく中庭で朝顔の花を観察して絵を描く時間があった。

小学校での画材は手が汚れないのでクーピーペンシルが指定されていた。

基本的に12色セットなので、朝顔の綺麗なグラデーションを表すには無機質なピンクと紫では満足できず、同系色をぐりぐりと重ねた。

さすがにまだ絵の具も使えない小学一年生に求めていたクオリティではなかったらしく、先生に見つかってクラスのみんなの前で斬新さを褒められた。

 

夏休みに10歳上の従姉妹と会った。

従姉妹もまた絵が上手かった。

リンゴを書いてごらんと言われて、また3秒で描けるよくあるリンゴを描いた。

従姉妹のリンゴはアルファベットの小文字のiのような模様で白抜きになっていた。

「これなに?」と聞くと、「ツヤだよ。」と答えた。

従姉妹のリンゴはぷっくりしていて可愛いということだけは理解できた。

父がアンパンマンの鼻と頬に描いた丸と四角がこれだということには少し後に気づいた。

小学校1年生にして目以外にも光と影の装飾を施すことを知った。

それから2年後、従姉妹が絵の専門学校へ進学した。

従姉妹は夏休み中、課題で毎日絵を描いていた。絵を描くだけの課題なんて羨ましいと思いながら私も隣で絵を描いていた。

今思えば従姉妹は毎日少し苦戦した表情で描いていた。あまり思い浮かばない様子で、絵を見せてくれなかった。

ある日、私の自由帳に絵を描いてとせがんだ。

上手じゃないよ、と渋りながらも課題ではないからなのか、いつもよりさらさらとあっという間に絵をふたつ描いてくれた。

自分の絵の稚拙さに気がつくには十分な年齢だった。

私はこの絵を自由帳から切り離して今でも大切に持っている。

 

この頃から人に絵を見せるのがこわくなった。

 

翌年頃に、同級生が朝の会で漫画を趣味で描いているのでぜひみんな読んでくださいと発表した。

その光景を見ているのがなんだか恥ずかしくて、私は読みたがるフリをして読まなかった。

 

それから、描きたいものが思い浮かばなくなって、こっそり描いていた漫画もペンが止まってしまった。

絵を描くことは今でも好きだけれど、描こうとペンを握った瞬間描きたいものが浮かばない。