我が家のペット事情

家族の話です。

 

我が家のイカれたメンバーを紹介していきます。

まず両親の結婚がスタートですね。

父は真面目すぎる家庭で育ち、家族は両親と少し年の離れた弟のみだったそうです。

母は反対に姉御肌すぎる姉を持ったため、昭和らしく道で出逢った犬のハナコなどを迎えながら、両親、姉、兄、兄に囲まれてにぎやかに育ちました。

そんな夫婦の元に最初に加わったのは、新婚旅行先のオーストラリアで出逢ったカメのなっちゃんでした。

そして程なくしてカメのきすけも加わります。

何年かしてなっちゃんと入れ替わるようにようやく第一子である私が誕生します。

それから、私の物心着いた頃にはウーパールーパーのうーちゃんが玄関に居座っていました。

そのウーパールーパーと入れ替わるように、今度は第二子である私の弟が誕生します。

やがて、父の転勤が増えるのできすけは母の姉の元へ引き取られて行きました。母の姉は私の知る限りでもほかに3匹ほどカメを飼っていました。

それからは母の兄が捕まえたカブトムシや、私が小学校から預かった子持ちのザリガニ、その後引き取った子ザリガニ、小学校から引き取ったスズムシ、母の実家近くの夏祭りで掬った金魚などたくさんのいきものたちが我が家に来ました。

 

母はこの頃からいぬを飼いたいと願っていましたが、堅物の父がいい顔をしないので、度々ホームセンターに入っているペットショップを見て歩いても我が家にどうぶつが来ることはないと誰もが思っていましたし、私もまた、諦めると同時にどうぶつにはあまり関心がありませんでした。

むしろ、家の近くで散歩しているいぬを見ては、自転車で轢いてしましいそうでこわいな、触って懐かれなかったらいやだな、とすら思っていました。

今考えてみれば、ここまで我が家に来たペットたちはみんな水槽や虫かごの中で、ごはんをあげるとき以外のコミュニケーションはほぼなかったからかもしれないと思います。

 

少し戻って子ザリガニを引き取って父がすっかりお世話になれた頃、彼に仲間を増やしてあげようと、初めてペットショップのお世話になりました。

ザリガニは一見オスとメスの区別がつかないもので、子供が出来たらメスかも知れないね、と言いながら、小学校でやっていたのと同じように同じ水槽に入れていました。

私は相変わらず触るほど得意ではなかったので、先輩ザリガニに社長、後輩に部長とあだ名をつけては、たまにじゃれあっているのを眺めているだけでした。

ある朝、水槽を見ると、部長のからだが半分になっていました。

齢10歳にも満たない私にはあまりに残酷すぎる現場を発見し、部長を拾い上げて社長を軽蔑しました。社長は私に恨まれながらも長生きしました。

 

そんなペットへのトラウマを抱えている頃、父の弟が結婚しました。

その叔母もまた世話焼きな質で、こどもやどうぶつが大好きでしたが、こどもを授かるのが難しかったようで、うさぎやいぬを迎えては、私にも見せてくれました。

ちょうど世界に"kawaii"が浸透し、日本でも何に対しても「かわいい♡」を向ける風潮が始まっていた頃ですが、私は相変わらずあまりどうぶつに興味がありませんでしたが、叔母は教え上手でもあり、人懐こくたくさん芸を覚えたいぬのチョコと私を仲良く遊ばせてくれたので、だんだんとチョコにだけは心を許せるようになっていきました。

チョコは父にもよく懐きました。

満更でもなさそうな父を見て、母と私はいつもの食わず嫌いだったことに気がつきました。

それからは自宅のお隣のいぬをはじめ、知っているいぬとは打ち解けられるようになりました。

その頃、母の「いぬを飼いたい」という願望は、今度は「飼うならボストンテリアがいい」という具体的なものになっていましたが、弟がまだ幼かったので老後の夢として語るだけでした。

 

またほどなくして、いつものようにホームセンターのついでにペットショップを見ていると、突然ハムスターをお迎えすることになりました。きっかけはよくわかりません。

これまでの水槽や虫かごのなかでほとんどコミュニケーションをとることもなく旅立ってしまったいきものたちにはホームステイに来ている他人のような感覚がありました。

それが、部屋がケージになった途端に、構ってほしそうに壁にしがみついて鳴いたり、滑車を回したと思えば疲れて寝てしまったりするので、何をしていても気になるような圧倒的な存在感がありました。それから、手に乗せたときのあたたかさや白くてふわふわした毛並み、小さな手足にきゅるんとした目にはどうぶつとしての愛しさを覚えていました。

そんな我が家に突然舞い降りた天使のハナですが、幼い弟の手厚い洗礼を受けたためか、いつしか軍手なしでは危なくて触れないほどのおてんば娘になってしまいました。

 

私が中学生になる頃、母方の祖母が長らくひとりで自営業をしていた店を、例の姉御肌の叔母夫婦が継ぎました。母は祖母が寂しい隠居生活をスタートしたのを見かね、話し相手としてインコと暮らすことを提案しました。難しい小鳥の頃のお世話を我が家で引き受け、人に慣れてきた頃に祖母に引き渡すことになりました。インコもまたザリガニと同様にオスメスの区別が人目では分かりにくいそうですが、祖母が大好きな石原裕次郎に肖ってゆうちゃんと名付けた真っ白な彼(?)はすくすくと育ち、口笛の真似を覚えて無事祖母の元へ飛んでいきました。

母はそれで寂しくなったらしく、しばらくしてペットショップを見たタイミングで偶然生まれたてのヒナを見つけたのでお迎えしました。

その日は父の誕生日だったので私がイチゴと名付け、周りをピンクの小物で固めましたが恐らくイチゴはオスです。

 

私が部活や勉強で忙しく、家ではご飯を食べてお風呂に入って寝るだけになっていた頃、だんだんおとなしくなっていたハナが天寿を全うしました。最期の前に、久しぶりに素手で触って、なんだか申し訳ない気持ちになりました。

それから、私はたびたび独り言を聞いてもらっていたイチゴには絶対に寂しい思いをさせたくないので、母がペットショップを見るのを嫌がるようになりました。

また、思春期で人見知りが悪化していたので、ありきたりにどっち派か問われては、ガツガツ来るいぬよりもねこ派だけれど、イチゴのケージに登って喧嘩したら困るので飼うなら独立してからかな、などと答えていました。

 

そんな私も高校生になり、今度は弟の方が思春期に突入しました。

ケージから出しては家中飛び回り、人の肩にとまっては粗相をして、壁紙や書斎の本などあちこち齧って荒らしたイチゴも、もうすっかり落ち着いてマイペースに暮らしています。

珍しく私の部活が休みの日、久しぶりに両親と買い物に行き、ホームセンターのついでにペットショップに行きました。私はまだペットに抵抗があったので、相変わらずボストンテリア狙いを諦めない母を待つ間、誰にでもきゃんきゃん愛想を振りまくチワワやトイプードルの横でいちばん退屈そうに丸まっている子と目が合いました。じっと見つめあって、ありきたりに「なんだか私みたいだね」と心で会話しました。

戻ってきた母は「ボストンテリアは高かったし、やっぱりあんまり大きくなるとお世話が大変よね」と言ったので安心して帰りの車に乗ると、父と私にスマホで写真を見せてきました。

 

退屈そうにしていたあの子でした。

 

母は自分が見つけたと言わんばかりに「この子がかわいくて、、、細くてあんたみたいだし、、、」と言いました。(ちなみにボストンテリアはとても父に似ています)

確かに否めない見た目でしたし、もはや運命かとも思いましたが、私はイチゴが寂しい思いをするのを嫌がって一度反対しました。

すると母は「お世話するのは私だし、寂しい思いもさせません」とよく見るペット飼いたい談義とは親子逆転した説得をしてきました。

結局のところ、最初に射抜かれてしまっていた私は折れて、翌日のお迎えが決定しました。

 

こうして母の長年の願いはいくつもの段階を経て予定よりも少し早く実現しました。

 

またまた私の命名が採用された細い彼は、ブルーのイタリアングレーハウンド、ポッキーです。

いままででいちばん近い距離で生活するポッキーは、お店ではあんなに退屈そうだったくせに、我が家では忙しい私に朝からちょこまかついて歩いて邪魔をするので、何度も喧嘩しましたが、部活が終わるといつもより急いで帰っては一緒に遊びました。

私が夕飯を食べ終えてリビングに居ようものなら期待の眼差しで私をソファーへと追いやり、べったりとくっついて寝かしつけてくるので私はリビングで寝落ちすることが増えました。

かつていぬを嫌がっていた父も、ありきたりにメロメロになり、職場でイタグレ仲間を見つけて夫婦でオフ会に参加するまでになりました。父のInstagramのアカウントは、他所のイタグレを見るためだけに存在していて、母に情報をリークすることがいちばん平和な夫婦の会話の種になっています。父が単身赴任から帰ってはふたりはペットショップにイタグレがいないかチェックしにいき、見つけて帰る度に私とポッキーに「プリッツ、妹にどう〜?」と写真を見せてきます。

弟もだんだん慣れてきて、静かに一緒に寝る相棒として受け入れ合っています。

 

長くなりましたが、

我が家のレギュラーメンバーの変遷についてお分かりいただけたでしょうか?

こんなに長くお付き合いいただいてから言うのも何ですが、ここまでが序章です。

 

この話には終わりがないので、

なんと次回早速続きがあります。

 

母の野望や、いかに______

我が家でいちばんイカレてるのは間違いなく母。