シャーロキアンに片足突っ込んでいる話
先のiphone事変によって携帯の持ち替えが面倒になる少し前に、仕事の合間に自学を含めて読んでいた本があります。
『名作ミステリで学ぶ英文読解』著:越前敏弥(ハヤカワ新書)
エラリイ・クイーンやコナン・ドイルなどの原文を一部抜粋し、英文の訳を予想しながらもミステリーのどんでん返しも味わえるといういいとこ取りの書籍です。
時は遡って、私はコロナ禍で自宅待機していた期間から、約2年間かけてアニメ名探偵コナンを完走していました。
というのも、世代から言ってコナンの初回には立ち会えていないので設定だけ理解して一、二話完結の土曜夕方アニメとしてときどき楽しんでいました。
が、最近主に映画では 「アカイサン」や「アムロサン」とかいう設定もよく分からないキャラクターがメインになることが多すぎる上に、それをみんなすんなり受け入れるばかりか寧ろ推しているのを不思議に思っていました。
前にも書いた通り、私は元ネタを理解して楽しみたい性分なので、アカイサンやアムロサンの初登場を見届けたいと思いました。
おそらくここまではアカイサンやアムロサンを推すひとたちは考えて登場シーンを調べてその回を履修したと思います。
が、私はどんな流れで出てきたのか時系列も知って全容が把握したいので、2年かけて完走するに至ったのでした。
一、二話で完結するコナンなので、ストーリーが1ミリも進展しない回がほとんどですから、せっかちな方にはまったくおすすめできません。
その上ほとんどが殺人事件なので毎話誰かが亡くなり、誰かが殺しを企むので何度も挫折しそうになりました。特にコロナ禍は外に出られず病みやすくなっていたので、たまに散歩に出るとすれ違うおじさんが犯人に見えることもありました。(何話も見ているとトリック云々ではなく人相や言動の傾向で青山剛昌先生の描く犯人が当てられるようになってくるのです)
実際、2年間ずっと見ていたわけではなく、気分が乗らずに途中でやめ、たまに戻ってきては一気に進めての2年です。
完走してしまった時には喪失感がありました。
私は何でも一気に見たい性格で(この傾向は鬱になりやすいらしいですね)、ワンクールで終わるようなアニメはすぐに見終わってしまうので物足りなく感じ、絶賛放送中の少年向けアニメは毎週の更新や次期が待ちきれずに離脱してしまいます。
そんな私には子供向けの終わりがない1話完結のアニメが、いつ見ても楽しませてくれる安心感で落ち着きます。
また、いっそ終わりがあるのなら、あとどのくらいで最終話を迎えてしまうのか寂しがることもたのしみたいので、漫画であってももちろん単行本をなるべく完結してからいっぺんに読みます。
そこで、シャーロック・ホームズでした。
私はあまり書籍としては購入せずレンタルや電子で済ませ、大切なじっくり読み返したいものだけを手元に買うようにしていますが、活字は目が迷ってしまい、どうしても紙になるので長編ものは避けていました。
が、シャーロック・ホームズシリーズは事件簿式なので1話完結が何話も続き、大昔の話なので当たり前にもう更新されることはないので、いまの私がいちばんじっくり浸ることのできる作品でした。
先に書いた『名作ミステリで学ぶ英文読解』で最後に出てきたこともあり、読みたい気持ちが大きくなったことと、ちょうど携帯が外で使い物にならなくなってしまったので仕事終わりに本屋でペンの替えインクを買うついで、まず一冊買ってみようという気になりました。
ちょうど一冊が抜粋された本棚でおすすめされていたので、いちばんポピュラーで入門しやすいだろうと、迷わず手に取りました。表紙の折り返し部分にもこの巻がいちばん上に書いてありました。
『シャーロック・ホームズの冒険』著:コナン・ドイル 訳:延原謙(新潮文庫)
シャーロック・ホームズを読んだことのある人ならもう気づいたかもしれませんが、まあもうしばしお付き合いください。
私はほかにも何冊か手に取って、一度に5冊も買いました。
選びながら、誰もがタイトルを知っている名作はこの世に沢山あるのにすべて読んだことがあるひとはなかなかいないのではないかと切なくなりました。そして自分の目で見て理解したい私には探究心へと繋がりました。
私にはこれといった趣味がなく、なりたいものも明確でないので、たまにいま人生が終わってもなんの問題もないと思うことがあるのですが、せめて読んでみたい本をすべて読み終えるまでは生きていようと思えたのでした。
話は戻って、私はあまり読書家ではないのですが、たまに書店に行ってはこうしてそのとき気になる本を複数手に取ります。が、毎度わかっているのにやってしまいますが私の中ではとっくに読みたい順序が決まっていて、たいていは1冊を読んでいるうちに忙しい時期が来て読書やそのジャンルへの熱は冷めてしまうので、読みたいと思って買った本が何冊もあります。
今回、もともとどうしても読みたいものはシャーロック・ホームズの冒険なので、早速帰りの電車で読み始めてしまおうと思いましたが、ゆっくり読みたいので踏みとどまって、その日は別のいまの私に響いて手に取った本を読み始めました。
翌日、通勤の電車で楽しみにしていたシャーロック・ホームズを読み始めました。
すると、書き出しではワトスンが久しぶりにホームズの部屋を訪れようとしていました。
久しぶりに???
いくら名作の書き出しだからといって、最初に最新を描いて順に懐古する形式にしては妙に中途半端すぎるタイミングに思えました。
その後読み進めていくと、ほかの事件が参照されている箇所がありました。いよいよ最初に読むべき巻を取り違えたことを確信しながらも、先が気になってページをめくる手は止まらず、その日は一冊のうち半分ほど読み進めてしっかりハマったので、仕事終わりにまた別の書店に寄ってみることにしました。別の出版社でも同じ順で並んでいて、携帯は信用出来ない時期でした。熱が冷める前に揃えてしまうのもモチベーションに繋がるでしょうと、全巻買ってみることにしました。
(モチベーションは、本が読めない食事中にシャーロック・ホームズの映画を2本も見るほどに上がっていました。)
順序としてはおかしいですが、もう読み始めてしまっている1冊目に買ったものは読み切ってしまおうと決意していたので、全巻揃ってからやっと時系列順にはどれから読むべきだったのか調べてみました。
結果として、最初に読むべきホームズとワトスンの出会いが描かれているのは『緋色の研究』という短編ではなく一冊かけた作品でした。私の読んでいる『シャーロック・ホームズの冒険』はというと、3冊目でした。すべての順序を知ってから表紙の折り返しを見ると、なかなかにめちゃくちゃなので、寧ろどんな順序なのか知りたくなりました。
表紙に書かれた順番ごときに謎を感じてしまうほどの知的好奇心を持った私は既にシャーロキアンに片足を突っ込んでいるのかもしれません。